客車急行だいせん

晩年の客車急行だいせん。
色付き始めた三田の田園地帯の朝、終点大阪を目指してラストスパートをかけてゆく...。

寝台車が連結されているとはいえ、往年の20系客車時代(私は幼い頃に乗車したこともある)を知る私としては、あり合わせでこさえたようなこの短編成は寂しく感じるが...。
されどこの頃(15年前)既に貴重な存在だったDD51ディーゼル機関車が引く定期客車列車ということで、
一度はきっちり撮影しておこうと、明石の実家経由で当時三田にいた弟の家に夫婦で前夜からお邪魔。
翌朝は早起きして弟の車を借り、ひとり撮影に出かけた。

既に翌月の廃止を控えていた貴重な晴れの週末ということもあり、
早朝にもかかわらず、当日はたくさんのカメラマンで賑わった。

客車急行だいせん_d0309612_22392810.jpg

福知山線 道場~三田

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by tongpooryk | 2014-09-04 00:01 | 夜行列車 | Trackback | Comments(2)

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Commented by くっぴぃ at 2014-09-05 00:14 x
こんばんわ!お久しぶりです。
訪問がうんと遅くなってしまい、申し訳ないです。
災害の被害も、どうやらなかったようでホッとしています。
さて・・「だいせん」ですね!
僕はバルブ写真しか撮っていません。山陰に行くと必ず乗っていたので、走行を撮る機会はついにありませんでした。
20系時代は、僕も乗りましたよ!国鉄最後の夏、旧客天国の山陰まで行ったんですよね。あの当時は、オハフ3348とか、オハニ36なんかを求めて全国からテツが集まっていました。僕は、そんな中で一眼レフを持っている人を見て、憧れてこの世界に入った、きっかけの大事な土地です。
DD51も、本当に見れなくなりました。ただ、今の家は比較的線路から近いので、はまなすやら北斗星のエキゾーストを子守唄&目覚ましにしていまして・・
Commented by tongpooryk at 2014-09-05 01:15
>くっぴい さま
こんばんは。
こちらこそご無沙汰してます。
また、この度はブログご訪問ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

さて、お気遣いいただき、ありがとうございます。
土砂災害、直接の被害はなかったのですが、仕事柄、対応はしばらく続きそうです。

20系急行だいせん、私は浜田の祖母宅へ行く時に、2度ほど大阪から乗車しました。
翌朝、出雲市でおきorさんべに乗り換えて浜田を目指すという...。
たいていは伯備線「やくも」(当時はもちろんキハ181)での帰省だったのを、私がわがまま言って、福知山線経由、「だいせん」利用が何度かありました。
あと、覚えてるのが、玉造温泉で急行さんべ6号との交換。
当時(小学生)は時刻表を細かくチェックすることもしなかった頃なんで、朝少し早く目覚めて車窓を見てると、目の前にDD51を先頭に20系+12系の青い客車がというサプライズにただただ喜ぶという...懐かしいですね。旧客も当たり前に走ってましたからね~。

自宅近くに線路は羨ましいですね。
明石の実家にいた頃は、関西ブルトレを目覚ましに...というか、通過前には起きて眺めてましたが。